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2008年12月 5日 (金)

寒ぼたん・・石光寺 2008師走

寒ぼたんの名所、奈良県二上山の麓の石光寺、今年も素晴らしい寒ぼたんが
咲きはじめた。

☆椎茸さんのひろばQPONスライド(写真28枚掲載)

             寒ぼたん  石光寺2008師走
        http://www.shiitakesan.com/03-53.htm

       寒さに負けじと咲く華麗な寒ぼたん

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               寒ぼたん

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   近く咲く寒ぼたんに藁苞(わらづと)がかけられている 

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              寒ぼたんは実に綺麗だ!

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           多くの寒ぼたんが咲きはじめている。

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                               12月4日 撮影

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12月10日に再度石光寺を訪れました。

この日に撮影した寒ぼたんお画像をワイド画面にしてHPにアップしました。

☆QPONスライドストーリースライドショー

  寒ぼたん 石光寺(ワイド画像)  (画像24枚)

    http://www.shiitakesan.com/03-16.htm

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(参考) ・・ 以下は、葛城市観光協会の「石光寺の案内」を掲載

 天智天皇の時代、光を放つ土地があるので掘ったところ、光かがやく弥勒三尊の石像が出てきた。そこで勅願により、役小角(えんのおづぬ)が堂宇を建立、石光寺と称したのが起こりという。
この寺は、中将姫ゆかりの寺で、境内に蓮糸曼荼羅の糸を染めたという染の井があり、寺名は別称染寺(そめでら)という。
寺は當麻寺と同じくぼたんの名所として知られており、春牡丹は約500種、4000本あり、4月下旬~5月上旬の開花期は花見客でにぎわう。11月中旬~2月下旬にかけて咲く寒牡丹も見事である。また境内に折口信夫歌碑、与謝野鉄幹・晶子の文学碑がある。
南門前に奈良時代の塔心礎石が残っており、また白鳳文化の搏仏(せんぶつ)も寺宝として伝わっていることから、當麻寺とあまり変らぬ頃の建立と思われる。現在の堂宇は、文化年間(1804~18)に聖阿の建てたものである。
〔宗派〕浄土宗  〔山号〕慈雲山  〔開山〕役小角

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 「文学碑」
 石光寺を訪ねた文人は数多い。 いま、寺の庭園には、与謝野鉄幹、晶子夫妻の文学碑が建てられている。鉄幹は
   時雨ふる日はおもひいづ
  當麻の里の染寺に
  ひともと枯れし柳の木
  京の禁裡の広前に
  ぬれて踏みける銀杏の葉

とうたっている。「明星」の詩人・鉄幹が、この寺を訪ねたのは明治の末期で、この五行詩は「懈之葉」(明治43年刊)のなかの、小曲の章にある「時雨」と題した一篇である。「・・・・・枯れし柳の木」とあるは、枯れた「糸かけザクラ」のことであろう。また、この詩は昭和12年12月の新聞誌上に、国民歌謡として紹介されたという。 一方、その妻晶子は、大正初期に伊豆で静養していたとき、日ごろ無沙汰をしている石光寺の麟海師(先住)への賀状に「若葉ころには訪ねていきたいが、明日知れぬ命ゆえ、しかとその約束はしかねる・・・・・」書き、つぎの一首を添えたのである。
   初春や  
  當麻の寺へ
  文かけは
  奈良の都に
  住むこゝちする

ここでいう「當麻の寺」とは、石光寺のことである。

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  「染井」
 天平宝字7年(763)、當麻寺にいた中将姫が浄土の大曼茶羅を感得したのでこれをあらわそうと考え、大和・河内・山城から蓮茎を集めさせ、その蓮糸をとって「染井」で洗い染めて五色の糸を得、大曼茶羅を織りあげたという。「染井」はこの寺の東門内南寄りの井戸屋形内に伝えられている。 その井筒は、石質・大きさが不揃いの自然石で造られており、口径50センチ口緑部から水面まで1メートル28センチ・水深36センチ、総深1メートル64センチ。底径は63センチあって口縁部の径50センチから徐々に径を増している。この構造で、注意すべき点は、横長石が使用されていることと、口縁部下1メートル20センチのところから底にかけて、径63・深(高)さ約50センチの円筒形焼物が入れてあって、底部で高さ約50センチは二重井筒になっていることである。井の形式名せ、「垂直型・乱石積・円形井筒」という。 〔山本博著『井戸の研究』〕

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